“1993年 薩摩焼との出会い”
僕はこの年に薩摩焼に出合った。
土に触れてモノが作れる仕事は魅力的だった。
木工もガラスも鉄も、手のひらで直に加工できないけれど
土だけは、それが出来た。ちぎったり、くっつけたり、まるめたり・・・。
薩摩焼宗家十四代沈壽官先生、彼に師事した5年間は必死だった。
無理を言った、無茶をした。その分厳しかった。自分にも厳しくした。
“1998年 登り窯“
飛び出すように独立。親父の土地に家族や友人達と登り窯を作った。
蹴りろくろも作った。作りたいように、作りたいものを作った。粉引や焼〆
や藁灰の器を山ほど作った。
それが、「とんがり虫の窯」。ankoさんと二人三脚の作陶が始まった。
「虫食いの大根や白菜は栄養万点です、そんな器がいいな」
これがその頃の僕達の器に添えた言葉。いまでもそう思う。
“2003年 御茶碗屋つきの虫”
ささやかな土地と古家、新しいアトリエとギャラリーを得て
灯油窯を作った。
「虫太郎」と名乗るようになった。
窯を焚くときも、ろくろを蹴る時も、文様を書くときも、虫の知らせを大切
にしたい。「もういいよ」「まだまだ」・・・、自分の中から湧きあがる虫の
知らせに逆らわず。泣き虫や弱虫や怒り虫も出てくる。それも楽しむ。
“2009年 大島紬紋様“
薩摩焼と伝統とデザインと、いろんな作り手やデザイナー、様々な
お客様との出会い。薩摩を考えてみたいと思った。
アトリエに電気窯を投入。
僕達のモノ作り、僕達の薩摩、仲間達との大島紬文様。
作品がまた変る。もっともっと作りたい。
”2013年 東京テーブルウエアフェスティバル”
かごしまの新特産品コンクールなど、
地元の活動にも参加を始めた。
20年前の薩摩焼との出会いのが、また違う形でスタートする。
連続でのコンクール入賞、海外見本市への出品。
50歳代、ちょっとくらい余裕のある大人になるつもりだったけど、
なんのなんの次々と現われる難題。生き様のすべてが積み重なって今の器があるなら、まだまだか弱く小さな器に今更ながら気付く。
”2018年 MAISON&OBJET PARIS”
やっぱり世界は凄いな。小さな器に入りきらないよ。
クラフトマンブランド 「MUSHITARO」 をスタート。
アトリエに併設していたギャラリー…たくさんのお客様を迎え、
たくさんの話をし、たくさんの作品を見ていただいたギャラリー。
つきの虫ギャラリーはいったん閉鎖します。
企画制作販売プロデュースのリデザイン。
新しいステージのための準備。
”2020年 新しいチャレンジャー”
新しい仕事のやり方を模索しているとき、
新たに、CraftsmanをめざすメンバーBUNTAが来た。
“2023年 つきの虫ブランドを育むメンバーたち
いつの間にか若い時代は過ぎ、
新しい時代の若い人たちと向き合っていく。
夫婦2人で培ってきたつきの虫は
家族4人で動かしていく器制作ブランド【つきの虫】に変わる。
どんな風になっていくのか?
これからの5年、10年きっとまたいろいろなことが起こるんだよね。
長い長いCraftsmanの道はまだまだ続く。
どうぞ楽しみに見守っていてください。
つきの虫 7SPIRIT
産地鹿児島で薩摩を感じるうつわを作り続けます。
薩摩焼CRAFTSMAN(職人)としてひとつひとつ丁寧に手作りする日用工芸品(crafts)を作り続けます。
多くの人と意見を交わし一緒に学びデザインし喜び変化し成長しながら作り続けます。
かっこいい・かわいい・綺麗・繊細・美…それらを超えたその先にあるモノを追求し続けます。
生み出した作品を大切に作り続け、ユーザーへしっかり届けます。
時間や年を重ねる中で得る大切な気づきを伝えていく事を怠らないようにします。
伝統薩摩焼へのリスペクトを忘れず、産地を大切に、産地で作り続ける意味を問い続けます。
つきの虫 VISION
つきの虫 RECENT ACTIVITIES
2009 第106回九州山口陶磁展 第2部門 入賞
2014 ミラノデザインウイーク(ミラノサローネ)出品
2015 ミラノ万博出品
2012-2017 かごしまの新特産品コンクール入賞
2018 パリ メゾン エ オブジェ 出展
2019 第58回日本クラフト展入選
平成30年度全国伝統的工芸品公募展入選
2020-2022 鹿児島陶芸展テーマ部門入賞
2019-2022 かごしまの新特産品コンクール入賞
2014-2023 東京ドームテーブルウエアフェスティバル出展